お姉さんのこと………………
お姉さん………………私は一人っ子ですから、当然姉はおりません。
が、人生において色々な事を教えてくれた姉はいます。
本来戸籍上は「男」としての名前ももちろんあります。
しかし、私には「実寿々」と、言う名前がしっくり来ます。
実寿々と知り合ったのはもうすぐ19歳のなると言う暦の上では春と言う時期だけど、北海道旭川はバリバリ真冬でした。
私は疲れていたのです。
前の年に大好きだった人との別れを経験し、どうでもいいや!!と、勢いで結婚した相手はグータラ!
私が働かないと食べて行けない。
学生で主婦で仕事もしてそんな生活が半年近くたった頃出逢いました。
たまたま、友達と飲みに行った店で異彩を放すその人から目を外す事ができず、あちらも疲れきった若さの欠片もない私が気になったようで話し掛けてくれました。
それが「オカマ、実寿々」との出逢いでした。
色々な事を話しているうちに「あんた、気に入った!!友達になろう!!」と、言われた時の衝撃は忘れらません。
だけど、不思議なもので実寿々といる時間は心安らかな時間で、ゆっくりそしてのんびりと過ぎて行きました。
一緒に遊ぶようになり「生まれて来た意味、生きる事の意味、何より自分の気持ちに正直に、そして、人に優しく」と、もう耳にタコが出来るぐらい言われ続けました。
どこにいても、何をしていても私には「実寿々」と言う名の帰る場所がありました。
離婚した時も、卒論が書けなくて苦しんでいた時も
入社試験の日も、妊娠結婚する時も何時だって実寿々がいたから乗り越えられた部分が大きいです。
ボンズ氏が生まれた日「病院に来た実寿々が、心配しないでいい!!私がこの子のパパになるから」
正直これにはびっくりしました!
そりゃあ、戸籍上は問題ないけど、外見はどっから見ても「おばはん」なのに!!
そんな幸せな日々も突然消えました。
10年程まえ、実寿々は何も言わず突然私の前から姿を消しました。
それから2年後実寿々が亡くなった事を知りました。
享年56歳、病名は原発性胃ガン。
私は亡くなってから49日の日に実寿々のお友達から聞きました。
最後の言葉は「○○←私の名前、愛してるよ!この世の中で始めて愛した相手はあんだけだよ!強く生きなさい」だったそうです。
自分が病気の事も死んだ後、お通夜も葬式も呼ぶな!!
あの子にだけは「実寿々」のままで最後まて「実寿々」のままでいたい。そう言っていたそうです。
私は………………実寿々の判断が正しかったと今でも思っています。
多分、お通夜だお葬式だと行っていたら、棺から離れる事も出来ず、集まった皆様に多大なるご迷惑を掛けたと思うし、何より後追い自殺していたと思います。
そんな私の性格を知っていて、何も告げる事なく旅立って行った実寿々は本当に強い人だった。
私は実寿々の実家もお墓の場所も知らない。
それでいいと思っています。
毎年、お盆の最終日に「よっ!!辛いだろうけど生きろよ!!」と、この言葉を聞けるから。
何より実寿々は私の中で生きています。
どんなに辛くても生きていられるのは、実寿々がいつも側にいてくれるから。
今年もお盆がやって来て、祖母と実寿々の存在がいっそ強く感じます。
大丈夫!!今日も生きてるよ!!