新生活日記

自由気ままに書きたいこと、言いたいこと、好きなことを書いています。

運命の歯車

どこで間違えたのだろ?

どこでボタンを掛け違えたのだろ?

娘が生まれた年、平成22年8月3日それは
突然やって来た。

正確に言うなら突然ではないのかも知れない。

深夜2時45分、夏の暑い日で窓を開けていた。

突然窓から突風が入って来た。
びっくりして飛び起きて時間を見たのだから時間も覚えている。

明け方4時30分過ぎに私たちは起こされた。
警察によって………………

3時5分当時、娘がお祖父さんと住んでいたアパートの2階から出火、娘はパジャマのまま外に出たと。
お祖父さんは「大事な物があると家に取りに戻り、玄関で倒れていて病院に搬送されたと」

この日から8月13日まで娘は私のところにいた。
そして、運命の8月15日。
娘は親戚の家に行き、帰って来る事はなかった。

そのまま夏休みが終わり、学校にも行かせて貰えないので、小学校側が児童相談所に通報。
娘は児童相談所によって保護された。

家庭裁判所から通知が来たのは9月の終わり。
親権をどうするのか?

旦那は仕事が忙しく、私は生まれたばかりの娘の病気の事で頭がいっぱいで裁判所に通知を送り返す日が過ぎて行った。

あれから6年、私は後悔している。
あの時、通知を出して要れば、あの時娘を親戚の家にやらなければ………………

親戚とは言っても亡くなった母親の方の親戚で遠い親戚に当たると聞いた。


私は何をやっているんだろうか?
札幌に来て、娘を当時小学校入学前のボンズ氏と探し回ったのに。
偶然にも娘の住む場所を見つけたのに………………

あれも、偶然だったのだろうか?
引き寄せられるように車を停めた場所は娘の住むアパートの前だった。

札幌に来たばかりで右も左もわからないまま、毎日のように娘を探し回った日々。

ちょうど学校から帰って来た娘を見つけたい時は声をかけたい衝動を抑えるのに必死だったあの日。

初めて娘と対面した時は小樽までドライブした。
人力車にボンズ氏と娘を乗せて、短い時間旦那とデートした。

なのに私は娘を手放した。
私が書類を出していたら今頃こんなに苦しい思いをしないで済んだのだろうか?

娘は今も私の手元にいたのだろうか?

11月で18歳になる。
来年は高校卒業。

どーぞ、幸せでありますように。

5歳で両親の離婚、母親の死を迎えた娘が
これから先、誰よりも幸せでありますように。

出来る事なら、私の手元に帰って来ますように。

捜せる手段がない今、私に出来る事は何もないのだろうか?

どうすれば捜せるのだろうか?

答えが出ないまま、日々だけは過ぎてゆく。

とにかく幸せでありますように。
6年間この思いだけは消えない。

世界中の誰よりも幸せでありますように。