新生活日記

自由気ままに書きたいこと、言いたいこと、好きなことを書いています。

自分の居場所

私には小さい頃から自分の居場所がなかった。

 

家の中でも外でも、いつも他人の居場所に置いて貰っている、そんな感覚だった。

 

私は人の死を認める事が出来ない。

 

身内のお葬式も会場の前までは行っても、そこから1歩が踏み出せず、いつまでも外に立っている。

 

お葬式に出なければ、その人が死んだと認めなくて済むと心のどこかで思っているのかも知れない。

 

それが今、父の死と向かい合わなければならなくなり途方に暮れている。

 

人いつか、どんな形でも死はやって来る。

それを乗り越える力は今の私にはない。

 

父と喧嘩した日「誰も貰ってくれなんて頼んだ覚えはない!!赤ん坊が喋れるなら貰ってくれなんて頼まん!!」

そんな喧嘩が出来た事が幸せなんだと思う。

 

結局、私は親にどれだけの迷惑を掛け心配させて来たのか?今になってわかる。

 

私は自分で自分の居場所を失い、そして今、父を死と言う形で失おうとしている。

 

本音で喧嘩出来る人、そして私の帰る場所。

そんな場所を失うのがのが怖くて仕方ない。

 

親の死を現実として受け入れる事が私に出来るのだろうか?

 

恨み、憎しみ、それがあるから生きて来られた私に父の存在は大き過ぎた…………

 

多分、私は父を憎む事で生きて来たのだと思う。

その支えがなくなったら、私はどうなるんたろんか?

 

その前に私に父の死を理解出来るのだろうか?

 

自分が自分でわからなくなっている。